ウチキフィルム | ウェディングムービー・結婚式エンドロール撮影

Story about you

ウチキフィルム8周年



8月21日。
ウチキフィルムを始めた日。
毎年、誕生日みたいな気持ちになる日。
とても嬉しいし、出会ってくれた人達への感謝を新たにする日。

8周年。9年目に入る。
ようやく撮影会社で撮影してた年数に並んだ。
合わせると16年!笑。
笑ってしまうほどの時間、結婚式に関わってきた。

【もくじ】
・撮影会社の頃
・脚本をやめる
・結婚式とムービーと向き合う
・独立した2014年

撮影会社の頃

そもそも撮影会社に潜り込んで、結婚式の撮影を始めた頃はすごく頑張ろうとか、一生の仕事にしようなんて微塵も考えてなかった。
当時の僕は渋谷にいっぱいあったミニシアターで上映される規模の映画の脚本を書いていて、それでは全然お金にならないから、何でも良いから仕事をしなきゃなぁって感じでした。

とりあえず結婚式の仕事は映像を仕事に出来て、テッペン(24時)越えない。
毎日、家に帰れるという奇跡。
どんなに早くても始発で行けば良い。
週に1日は休める。

当時、映像業界はブラックを遥かに通り越していました。
その中で結婚式の仕事は確かに独特の緊張感はあるけど、なんだか気持ちの良いぬるま湯だなぁと感じた。
最低限のラインをクリアしてれば、あとはひたすら同じことの繰り返し。
クリエイティブとかそういうことじゃない映像の仕事。
今思えば申し訳ないけど、それが当時の結婚式の映像の仕事に対する認識。
クリエイティブな部分は別のとこで出し尽くしていたから、何か尖ったことをしようなんて正直、微塵も思わなかった。
入った会社でも、写真がメインの撮影会社の映像部門というところだったのも、気楽にいられた要因だったと思う。
「お金がもらえれば、何でもいいっす」というのが結婚式の撮影に対するスタンスでした。

・脚本をやめる

2008年にリーマンショックがあり、ミニシアターはどんどんシネコンに負けていき、オリジナルの脚本で映画を作るという環境がどんどん苦しくなってきた。
実際に1年を費やして書いた企画・脚本がクランクインの2週間前に出資会社の決算が悪くて、消えていったこともあった。(それは結構ショックだった)
それでも2011年くらいまでは睡眠時間も、休日も削って、ひたすら書いた。
果てのない真っ暗な道を、あるのかないのかも分からない「光」を探して、無心で歩き続けるようなそんな時間だった。
脚本を書くことは、自分の人生、価値観、体験を表現すること。
小手先では書けない。
自分の人生を、今後生まれる名作の対価で、肥やしで、種銭のように思っていた。
命に火を灯して燃やし尽くして、得られる何かを求めていた。

でも、そんなことには限界があった。
どこかで「この先」に期待できなくなった自分がいた。
2011年に震災が起きた。
津波が来て、原発(正確には原発の建屋)が爆発して、その映像を見ていた。
その時、僕は31歳だった。
人生の折り返しということを強烈に意識した。
30年で寄せたものがもう30年で引いていく、そんなイメージできっとこれからタフな世界が待っている。
余震が繰り返し、計画停電で右往左往する世界の中で、そんなことを思った。
一方で、その時に隣には今、妻となってくれている彼女がいた。
「自分の人生」を生きたいなと思いました。
守るべきものを守って、積み上げていくような。
そのためにゆっくりと、確実に僕自身の火を消していった。

・結婚式とムービーと向き合う

人生の多くの時間を費やしたものを手放した時、自分にあったのは結婚式を撮ったり、編集したりする技術だけ。
「さてどうする?」まずは今できることに本腰を入れてみた。

運が良かったのは、当時一眼レフで動画を撮る(一眼ムービー)ということが始まった頃で、結婚式の映像業界にもその波が来ていた。
身近なとこで、新しい何かが出来そうな、そんな時期。
閑散期には先んじて一眼ムービーを取り入れた業者がセミナーが開かれていたので、休みの日をセミナーに合わせて自費で参加していった。
CP+にフォトネクスト、インタービーなど主だったイベントでの一眼動画のセミナーをひたすら巡った。
そこで出会った人たちとFacebookで繋がって、さらに情報を得ていくというのがお決まりの流れになった。
実際に自分でやってみると、結構うまく出来た。
徐々に会社でも、新しく商品を作ったりして、それはそれで充実していった。
初めて結婚式の撮影で「もっとうまくなりたい」「もっと良い映像をつくりたい」と思うようになった。
本当の意味で「結婚式を仕事にした」のは実はこの時だったと思う。
会社とか関係なく、キャノンの5Dマーク3を買って、レンズも揃え始めていた。

夢中で結婚式の映像を作り、ほかの人の映像も見ていく中で、結婚式の映像を作る人の弱点もすぐにわかった。
それは作り手の個性。

海外の作品を上手に取り入れて、うまく模倣できる人は一段階目のコピーだから見られた。
さらにそのコピーをする作り手が出てくる。
それはもうコピーのコピーだから、なんだか解像度が低いし、熱も低い。
もちろん結婚式自体はそんなに毎回違うものではないし、事件が起こるわけでもない。
新郎新婦みんながみんなオリジナリティを求めているわけでもない。
結果、小手先の上手さだけが競われていく。
上手さ以外の部分で試行錯誤する術を知らないんだと思った。
そういう意味では、クリエイティブで勝負してこなかった人でも通用する業界。
でも、続けて観ていくと透けて見える。(まぁ続けてみるのは同業者だけですが笑)
とにかくたくさんの映像を観て、作って、結婚式の映像もモノづくりなのかもしれないと感じた。
それが一番の収穫だった。
結婚式の映像にもブランディングや時流だけじゃない、「個性」が発揮できる余地がきっとある。

これはやれるなと思った。
個性というのは、才能ではないし、生まれ持ったものでもない。
個性とはもっと後天的なもの。
自分の人生を通して自分の作りたいものを知っていること、人と違うことをする勇気と気概、さらに「個性的な何か」と「新しいだけの何か」を切り分けられる俯瞰的な視点を持つこと。
それらをざっくりまとめて、雑に一言で言ったものがいわゆる「個性」。
それはモノを作る上でなにより大切なものだと思う。
それが作り手の存在意義。
「自分が自分として生きること」と「仕事をする」ということを重ねられる場所を見つけた。
ずっと探していた「光」をみつけたような気持ちだった。

これからは結婚式の映像の中にも「自分の個性」で勝負していく時代が絶対にくる。
個性を追求すること、それはもう脚本を書くことで何年もやってきていた。
その分のアドバンテージがあるし、そこにおいては自分は強いと思えた。

・独立した2014年

2014年に独立をしてウチキフィルムになった。
8月20日付で会社をやめて、21日にはホームページを公開した。
集客のノウハウもなにかもゼロだったけど、とりあえず走り出した。

独立した背景は色々とある。
でもシンプルに、それが一番自分の人生を生きれるやり方だったからということに尽きる。
会社にいては「その他」のことが多すぎたし、自分を出せる仕事が少なすぎた。
時期的にも、ビデオグラファーで同じような人は何人かいたけど、埋もれるほどではないギリギリのタイミングだった。

最初は紹介頼りでした。
その頃、サンプルも何もないウチキフィルムを信じて依頼してくれたカップルたちのことは今でも鮮明に覚えている。
打ち合わせでご飯を食べながら3時間くらい話をしたこともあったし、ロケハンすら楽しみで仕方なかった。
1年くらいすると、なんとか検索だったりで問い合わせてくれる人が増えてきた。
ゆっくりゆっくりウチキフィルムらしくなってきた。

会社で8年、ウチキフィルムで8年。
フリーランスになってからの方が遥かに濃い時間を過ごしている。
思い出せる記憶の色がずっと鮮やかです。結婚式のひとつひとつが心に残ってる。
いつかどこかで、この2人とまた会えたらいいな。
そんな気持ちで日々仕事をする。

次第に「自分の個性」だけじゃないことにも気づく。
ウェディングムービーを作るという工程は自分だけで進むわけでもない。
必ず新郎新婦と一緒に進む。
知らない場所に連れてってもらって気づくこと、知ることがある。
反対に自分の知ってる場所に連れて行ったら、とても喜んでくれることもある。
そんなお互いの人生や経験のシェアから、思いがけない場所に辿り着くことがある。
2人の人生を描きながら、自分自身の人生も無理せずにしっかりと生きる。
今はそれを楽しんでいたいです。

以上、そんな感じの9年目です。
長々と読んでいただきありがとうございます。
中々書かない自分語りでした。
次回から普通に結婚式のことを発信していきます。
今後ともよろしくお願い致します!

ウチキフィルム 打木健司